著者

cixhamin

文書のライセンス

「人間の数学」の由来

いつ頃かは忘れましたが、私がかつて通っていたA型事業所の社長は私が数学にのめり込んでいるのをみて、こんな問題提起をなされました。

「お前は「人間の数学」をやってみろ」

もちろん当時の私は「?」でした。あれから12年ぐらい以上時が過ぎて一つの人間の概要を捉える数理モデルを考案したので公表しようと思います。

人間を捉える「数理モデル」

人間はいろんなパラメーターで構成される複合要素(ベクトル)とみなすことができます。そしてそれは時間によって変化する可能性があります。つまり人間は以下のように数式で書くことができます。

\[ \vec{h}(t) = \begin{bmatrix} h_1(t) \\ h_2(t) \\ \vdots \\ h_n(t) \end{bmatrix} \in \mathbb{R}^n\]

そして、その人間への評価も人間のパラメーターに対応した複合要素(ベクトル)です。これも時間によって変わる可能性があります。これを以下の数式で書いてみると以下のようになります。

\[ \vec{w}(t) = \begin{bmatrix} w_1(t) \\ w_2(t) \\ \vdots \\ w_n(t) \end{bmatrix} \in \mathbb{R}^n \]

そこで人間の評価を以下のように考えます。

\[ \vec{h}(t) \cdot \vec{w}(t) = \displaystyle \sum^{n}_{k=1} h_k(t)w_k(t) \in \mathbb{R} \]

同じ人間でも評価軸が変われば人間の評価は変化してしまいます。すなわち

\[ \vec{h_1}(t) \cdot \vec{w_1}(t) \neq \vec{h_2}(t) \cdot \vec{w_2}(t) \]

同じ人間でも時間が変化すれば評価も変わるかもしれません。すなわち

\[ \vec{h}(t_1) \cdot \vec{w}(t_1) \neq \vec{h}(t_2) \cdot \vec{w}(t_2) \]

これは非常に重要な特徴ですが、人間の評価は比較が可能です。すなわち

\[ \vec{h_1}(t) \cdot \vec{w_1}(t) > \vec{h_2}(t) \cdot \vec{w_2}(t) \]

\[ \vec{h_1}(t) \cdot \vec{w_1}(t) = \vec{h_2}(t) \cdot \vec{w_2}(t) \]

\[ \vec{h_1}(t) \cdot \vec{w_1}(t) < \vec{h_2}(t) \cdot \vec{w_2}(t) \]

人間の評価を自分の拠り所とする問題点

つまり「人間の評価」という実数空間の中で人間を捉えようとする限り、必ず他者との比較が発生してしまいます。他者と比較して優越感に浸ったり、落ち込んだりするのは「人間の評価」だけで自分を捉えようとするからです。もちろん会社での査定や試験で「人間の評価」を重要な判断指標にすることを否定したりする意図はありません。それも必要なことです。

では何が言えるのか?大事なことは、人間の評価を拠り所にしてしまうと、必ず他人に対する比較という評価から逃げることができない。つまり安心・安定を得ることが難しくなるということです。

そして障害者福祉においてはさらに問題が発生します。社会に出れない障害当事者はどうしても「人間の評価」が極めて低くなってしまうのではないでしょうか?「人間の評価」というものさしで人間を測ってしまうと、そういう人間は価値がないという判定が可能になってしまいます。それは障害者への虐待や迫害を容認する論拠を作ってしまう可能性があります。

人間そのものの価値について考える。

少なくとも、能力評価から人間の価値を導くことは数学的に必然ではありません。そうするには別途、価値判断を持ち込む必要があります。つまり

『人間の評価』から人間そのものの価値を導くことはできない

実際に古典「聖書」では、イザヤ書43章4節で次のように述べています。

「あなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」

人間の尊厳を的確に表現した一文ですね。「人間の評価」で人間そのものの価値を決める考えとはまったく逆の思想であるとも言えます。

人間の尊厳を数理的に考える

これまでの議論をまとめると

  • 『人間の評価』から人間そのものの価値を導くことはできない
  • 「人間の評価」を拠り所にすれば、常に不安定にさらされる。

では、人間そのものはどう考えるべきでしょうか。それは「人間の評価」とはまったく異なる次元のパラメーター「超越者の視点」というのを導入します。つまり人間を複素数で表すという考え方です。数式で書くと

\[ H = \vec{h}(t) \cdot \vec{w}(t) + i\tau \in \mathbb{C} \]

既存の「人間の評価」そのものは否定しません。なぜなら実在するからです。それは複素数における実軸に設定します。そこに「超越者の視点」 を虚軸に設定します。「人間の評価」は目で見えるから実軸、「超越者の思い」は目には見えないから虚軸というモデルで考えてみたわけです。

このモデルで重要なのは、人間を単純比較することが一切できないということです。例えるなら、世の中の成功者と重度障害者を単純比較できないことになります。いずれも一人の人間として尊重されるしかないという着想を導出できます。それはイザヤ書43章4節とも矛盾しません。

「いずれも一人の人間として尊重されるしかないという着想」こそ私は福祉の原理だと考えます。

最近ヒットした曲にCANDY TUNEの「倍倍FIGHT!」がある。その歌詞の一節を北九州出身の立花琴未はこう歌っています。

「誰かと比べて落ち込んだって 自分は自分さ」

それが真実。