著者
cixhamin
文書のライセンス

人間拠り所が必要
人が精神的に安定して生きるためには、自分の存在を肯定できる拠り所が重要だと私は考えています。自分を理解し、受け入れてくれる存在や、自分自身の価値を確信できる精神的基盤があることは、困難に直面したときの大きな支えになります。しかし、問題はその拠り所をどのように選ぶかです。精神的な拠り所は他人から押しつけられるものではありません。自分自身で考え、理解し、納得したうえで選ぶべきものです。その選択肢の一つに宗教があります。
人間自身は恒久的な拠り所にはできない
人間は恒久的な拠り所にはできません。子供の頃は親が拠り所になりますが、次第に成長し、反抗期を経て、精神的な拠り所を担保することで大人になります。特定の人間だけを精神的な拠り所にすることには限界があります。だからこそ、人間関係の変化によって容易に失われない精神的基盤を持つことが重要です。
拠り所の条件
拠り所の条件は以下のとおりです。
- 無条件に自分をすべて理解し、自分を丸ごと受け入れてくれること。
- 時間や空間に過度に依存しないこと。
- 理解力・受容力がいかなる人類をも超えていること。
そう、これらの拠り所は主に宗教で定義されています。そもそも宗教という言葉は「宗=心の拠り所 となる 教え」なのです!定義どおりに考えれば宗教自体は悪いものではありません。心の拠り所となる教えが宗教ですから、人にとってとても大切なものです。
宗教=危険の等式を考察する
しかし世の中では「宗教=危険」という認識が根強いのも事実です。なぜなのでしょうか?それは名前こそは宗教でも実態が「破壊的カルト」というものが一定数存在するからです。宗教を見極める基準は以下のとおりです。
- その宗教が教えていることは、自分の心の拠り所として成立し、機能するか?そこにいかなる条件も課さないか?
- 社会と共存することが前提であり、断絶するものではないか?
- 信仰する自由だけでなく、疑問を持つ自由、信仰を変える自由、信仰をやめる自由が尊重されていること。
上記3つを両方とも満たすもの。それだけです。これは宗教指導者(神主・住職・牧師・司祭など)には悪いのですが、少なくとも私たちの目的は宗教のために生きることではありません。自分が生きるために宗教を選ぶのです。その視点を忘れないでください。逆に選んではならない宗教は
- 布教活動を必須事項として要求する。→宗教の本来の目的である「心の拠り所」から逸脱する。
- 献金をやたら要求する。あるいは献金しなければならない雰囲気を感じる。→破壊的カルトの特徴
- 社会から断絶を図る。→社会に出て貢献する=社会との共存という私たちの目的から大きく逸脱する。
だと思います。破壊的カルトには気をつけましょう。
まとめ
- 人間には拠り所が必要。宗教は「心の拠り所を教えるもの」決して悪いものではない。
- 警戒しなければならないのは「宗教」ではなく「破壊的カルト」。
- 宗教のために生きるのではなく、自分が生きるために宗教を選ぶ。
- 「みんながやっているから」ではなく「自分の理解と納得」を優先する。