著者
cixhamin
文書のライセンス

コミュニケーション信仰
自立した障害者が極端に少ない背景があるのかもしれませんが、障害者が就労に至る考え方で「間違っている」「効果的ではない」ものが普通にまかりとおっているのが現実です。その中でもどんな就労移行支援施設でも必ずといっていいほど聞くのが「就労にはコミュニケーションが大切だ」という考えです。以前に就職者講演会で「あなたにコミュニケーション力が不足していると感じますか」という質問に聴講者(障害者)が全員手を上げたことに私は少なからず衝撃を受けました。
どうして、就職を目指す障害者が「コミュニケーション力不足」を感じるのか?どうして「コミュニケーション力を身につけることが至上命題」と考えるに至るのか?それを考えてみたいと思います。
正しいコミュニケーション
私は本来のコミュニケーションの目的は「他者理解」「自己受容」にあると思っています。それが正しいコミュニケーションだと思うのです。「正しいコミュニケーション」は確かに社会に出て必要になることです。「正しいコミュニケーション」は上司や同僚と良好な関係を築き、円滑に仕事ができるようになるためには必要です。だから「コミュニケーションが大事」ということ自体が間違った考え方ではありません。
詳しくは完成編の「真・コミュニケーション論」で話をしますが、概略を言えば
- 相手をできるだけ正しく理解する。
- 自分自身を理解して、受け入れる。
ことを徹底して積み重ねることによって、良好なコミュニケーションが次第にとれるようになります。実は「他者理解」「自己受容」ってかなり難易度高いんですよね。これらには徹底的な客観性と冷静さが必要です。客観性と冷静さを持つには
- 論理的思考力(感情に流されず、現実を「なぜ」起きるのか考察できる)
- メタ認知能力(自分自身を客観的に観察する。自分の望む願望といった感情は脇に置く)
- 無条件の受容感(自分は世界から受け入れられている存在だという自己認識)
が必要なんですよね。実は無条件の受容感がないと、自己受容できないんです。自分は世界に受け入れられていて何もできなくても価値のある存在だって自己認識が確立して初めてメタ認知のプロセスの中で自己受容(自分自身の特性、それは長所も短所も含めて受容する。「それでいい」と自分で容認する)ことが可能になります。そして他者理解ですが、言うまでもなく「相手の言動に感情的にならない」冷静さとその上「相手の言動の「なぜ」」を考察する論理的思考力が必要です。
間違ったコミュニケーション認識
しかし就労移行に通っている障害者で上記のようなコミュニケーションの視座に立てている人はほぼいません。なぜそう言い切るのかといえば、もし「正しいコミュニケーション認識」ができていれば就労定着なんて余裕でクリアできるはずだからです。でも実際は20人訓練生がいれば就労定着支援満了まで残れるのは2人ぐらいです。18人は脱落してしまいます。つまり18人の脱落した人は「コミュニケーション」の認識を誤っているからに他なりません。その間違いとは
「自分を理解してもらい、自分を依存させてくれることを目的として相手と意思疎通する」
ということにあります。実は正しいコミュニケーションは「精神的自立」を大前提にしているのです。なぜならば正しいコミュニケーションに必要なものとして「無条件の受容感」があり、この「無条件の受容感」は「精神的自立」の大きなファクターだからです。でも間違ったコミュニケーション認識では「人に依存できるか」が目的になっている。これが間違いなんです。
人に依存するという間違い
どうして人に依存することが間違いなのでしょうか?理由は以下の通りです。
- 人間は不完全であり、理解力と許容力は限界がある。
- 何人人を寄せ集めたところで、自分の望む理解も受容も得られないことがほとんど。
- 人間は永続しない。運よく人から理解と受容をもらえたとしても、その人が去ったらそれらは消え去る。
- ましては障害者という少数かつイレギュラーな立場からして、多くの人からの理解と受容を得ることは極めて困難。
人に依存することが不道徳で迷惑行為だから駄目だということではありません。それ以前に構造的に不毛で無理なのです。無理な構造を人の努力でどうにかしようとしても無理なものは無理です。その無理に多くの就職希望の障害者は気づけません。気付いたとしても行動を変えられません。だから就労定着という成果を出せないのです。
なぜ健常者は人の依存で精神の安定を保てるのか?
どうして人に依存する方法を取りたがるのか?答えは簡単です「健常者がそうしているから」です。一般の健常者は割と適度に人に依存して生きていると思います。自分の根幹的なところを「親友」「恋人」という形で受け持ってもらっているケースも多々あるでしょう。でもこれは健常者が多数派でありレギュラーであるから成り立つわけであって、障害者という少数派かつイレギュラーな場合はほぼ成り立たないと考えて問題ありません。障害者という自覚がある以上、健常者と同じ考えでうまくいくなんて絶対に思ってはなりません!
まとめ
- 本来のコミュニケーションは精神的自立が前提。
- 間違ったコミュニケーション認識とは「人への依存」を目的とする。
- 「人への依存」は不毛であり無理。パラダイム・シフトが必要。
- 障害者は健常者と同じようにはできないことの気付きが道を開く。