著者
cixhamin
文書のライセンス

正論が伝わらない理由
よく正論を言って人を傷つけたりする人いますね。別に正論をいう人は人を傷つけたいからそう言っているわけではないことのほうがほとんどです。(一部悪意のある人は正論を人を傷つける道具のように使う人もいます)たとえ人が傷ついても、伝えなければ相手のためにならないから正論を伝えるのです。しかしその考え、意図は伝わらないことも多々あります。なぜ正論なのに伝わらないのでしょう。
その理由は、正論を言うにしても相手の気持ちを考慮していない、あるいは考慮が十分でないからです。相手の状況、立場、言葉を受け取った時どうなるのか、その言葉を発する時期、そういうことをすべて熟考した上で正論を言えばある程度成熟した相手であれば、考えてくれますし、伝わることが多いのですが、考慮が十分でないと、相手を落ち込ませたり、それだけではまだしも、反発を招いたりして、聞き入れられずに終わってしまいます。
相手を考慮しない正論は自分の都合のよさだけしか考えていない
正論を言うにも相手のことを全く考慮していないとすれば、そこにあるのは正論を伝えて相手に理解・納得してもらうことではありません。自分の都合の良さを押し通したいという思いだけです。そのための道具として正論を利用しているだけにすぎません。そういうことは不思議と正論を言われた側は直感で見抜きます。それは「衣食住足りて礼儀を知る」でも記しましたけど、礼節に欠ける無礼な言動であるとも言えるのです。相手の立場よりも、自分の都合のよさのほうが圧倒的に優先されるからです。
そういった意味においては、「相手の気持ちを考える」というのは幼い頃から親や学校から教わるすごく初歩的なことですが、大人になったらなおさら重要になります。人間が属するのが人間社会である以上「相手の気持ちを考える」というのは秩序ある社会の維持のために必要不可欠なものなのです。
しかし人の気持ちはわからないのではないか?
しかし、人の気持ちはそう簡単には理解できません。経験と学習が必要不可欠です。それでも人も気持ちはわからないことのほうが多いです。では人の気持ちはわからないから考慮する必要がないといえば違います。人間は感情の生き物です。感情の生き物である以上、相手に動いてもらうためには、相手の気持ちを考えて言葉を発したり態度に示したりする必要があります。となると、人の気持ちはわからなくても、わかろうとする姿勢は見せる必要があるのではないでしょうか?たとえ相手の気持ちがわからなくても、わかろうとする姿勢を見せるだけでも、相手に誠意を伝えることができるはずです。少なくとも無条件に拒絶されたりすることはよほど常識的でない相手でもない限りはないと思います。