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cixhamin

文書のライセンス

反省=自分を振り返ること

私が北九州に活動の拠点をおいて一番思うのが、北九州の人って反省できない人が多いんですよね。以前に私は関西に住んでいてそこでは反省なんて当たり前でしたね。このカルチャーギャップには本当に驚きました。北九州が少しずつ凋落していっているのも「反省」の習慣が欠如しているからじゃないのかな、って思ったりします。それはさておき、

自分の言動について、問題や失敗があっても放置という態度はあまり好ましくはありません。なぜならば問題や失敗から何も学べない=自分が成長しないからです。つまり失敗が無駄になる。失敗という結論を出した言動や決断も無駄になるからです。これは何を意味するのか。「時間」「労力」「お金」すべてをドブに捨てるに等しい行為です。これほどもったいないことはありません。失敗は次に活かすのが効果的なのは言うまでもありません。

だから何かしら問題があったときは「なぜその問題が起きたのか」ということについて自分自身の言動を振り返る必要があります。実はこれが反省なんですね。多くの人が誤解していますが、「反省=自己否定を伴う懺悔」では決してありません。反省に懺悔の要素はありません。あるのは問題点の分析と特定、再発防止策だけです。

まずは感情的になってしまう自分を受け入れる

何かしらの問題が起きたとき、どうしても人は感情的になります。注意しなければならないことは感情的になること自体が悪いことではありません。感情的になってしまうのは仕方がないとまずは自分を受け入れてください。それが一番感情的になっている自分を冷静にする最短の方法なのです。もちろん一朝一夕にできることではありません。なれないうちは失敗したり、時間がかかったりすると思います。でもそこは経験と学習です。

知は力なり

冷静になってはじめて「なぜ失敗したのか」「なぜ問題がおきたのか」を考えましょう。反省は以下の原則に基づいて行います。

  • 結果には必ず原因ある。
  • 存在には必ず理由がある。

人はついつい結果で一喜一憂して終わり、納得できない存在は否定するで終わりがちです。でも実際は結果にはそうなるだけの原因が必ずあるし、いくら嫌な存在でも存在する以上存在理由があるのです。ただそれが受け入れられない、わからないだけの話です。そこを明らかにするためには、いろいろな知識が必要です。それらを調べたり、質問したりすることが必要です。そして知識を元に自分で推論したり、人と議論することも必要でしょう。反省のプロセスを忠実に実行すれば、自然と知識と推論力が身につきます。そしてそれは「自分に身についた運用可能な知識」になります。これこそが「知恵」なのです。この「知恵」が身につくからこそ、次同じ失敗をしなくなるのです。人は「知は力なり」と言いましたが、知恵を身につけることは、生きる力を身につけることと全く同じです。

メタ認知=自分を客観視する力

この反省のプロセスで「自分の言動の問題」を評価するとき、前提として「自分を客観視できているか」が重要になります。感情的になっているときは自分を客観視することはできません。冷静になって初めて可能になります。自分を客観視するというのは、言い換えれば「自分であって自分ではない」という位置づけを設定することです。より噛み砕いていえば、「自分は当事者でもありながら、観測者でもある。」という位置づけです。この「観測者の自分」の視点から「当事者の自分」の視点を認識することを「メタ認知」と呼ぶのです。抽象的な説明だと思うので、具体的に行動に落としやすいように言語化します。

  • 自分の身に起きたことが、実は自分とは全く関係のない他人だとすれば自分はどう考えるか?

ということです。自分事をあたかも自分事でないように認識する。ですね。それは時に「自分を大切にしていない」なんて評価されることもあります。理由はメタ認知ってある意味自分自身を突き放す側面があるからですけどね。でもこの「突き放し」がないと、自分の言動の問題点を正しく把握することはできないですし、当然問題の改善につなげることもできません。

まとめ

  • 反省とは言動の問題点の特定および再発防止策を立てること。決して自己否定や懺悔ではない。
  • 反省には知識の収集と推論が必要不可欠。それは「運用可能な知識=知恵」となり、生きる力となる。
  • メタ認知とは「当事者の自分を観測者の自分から認識する視点」徹底した客観性が求められる反省には必要不可欠。